2004年12月14日

人造人間コンテスト

中国で整形美人のコンテストをするとかで、世界各国から整形手術を受けてきれいになった人たちが大集合するらしいです。

オンナにとってメイクというものは、やっぱそれなりに意味があるものだと思うんですよ。私自身はほとんど家にこもりっきりで原稿書いてる身分なんで、メイクを語れるほどのものは持ってませんけど。
それでも打ち合わせで外に行くときにメイクをしようと思うのは、仕事をまわしてもらうために、自分の印象をよりよく見せたい、とか、そんな心理が働くからだと思うんですよね。

もちろん、かわいいと思われたいとか、それなりのオンナに見せときたいだとか、皆さんそれぞれ複雑にからむ女心はあると思います。
メイクをせずに街に出た女性と、メイクをしてから街に出た女性二組のチームに、同じような男性を送り込んでナンパしてもらったところ、メイクをしてそれなりに自信のついた女性はナンパも軽くあしらい、ついていこうとした女性が多かったのに対し、すっピン女性は言葉も交わせぬほどそれを避けたそうです。

コレは当然男性への嫌悪感よりも、自分に自信がない状態のときに話しかけてもらいたくないという心理です。
それくらい人間にとって顔というものの存在は大きい。
雑貨の写真が並んでいる中に1枚だけでも人の顔を置いて御覧なさい、人間の目は瞬時にその写真に目を向けます。


さて、話を戻しますか。


整形をして美しくなって自信をつける、それはまあ、本当に姿かたちにコンプレックスを持っていて家から一歩も出られません、という人にとっては、まさに救世の道なんだと思います。
でもね、昨日ニュースで取材を受けていた整形女性が口にしていた言葉を聴いたとき、すごく複雑な気持ちになりました。

「美を追求して何が悪いの?気に入らない部分があるなら取り替えたり直したりしていけばいいことじゃない。簡単なことだわ」

整形で手に入れた美を競う。
競っているものは何でしょう?

美しさ?執刀医の技術?

もしもコンテストで1位になれなかったとして、そしたら1位になるためにまたココを変えよう、アソコを変えたらまた一歩先を行ける。とか。

そうして延々と顔の取替えっこをしたところで、その先に待っているものは果たして本当に「美」なんだろうか?

気に入らない部分があるなら取り替えたり直したりしていけばいいことじゃない。

多分これから身近なところに「顔を持たない人」っていうのがたくさん出てくる。ネットの中ではすでに顔を持たないつきあいってのが普通になってきているし。

顔をしっかりと持つということは、この世界のなかで逃げも隠れもできないということ。だから私たちは細かなことに気を使って、守るものを守ろうとするわけですよ。でも、気に入らなきゃ変えればいい、という意識が主流になると、生まれ変わるのが容易になってしまって反省のない人生になってしまう。

顔を捨てない生き方をしたいなー。
posted by ヤミナベ at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 猫屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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